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蛭子山1号墳

     
  • ジャンル:町の歴史・文化
  • 更新日:2011年4月22日(金曜日) 09時34分
  • コンテンツID:7-379-48140
 

「与謝野町立古墳公園」

 与謝野町立古墳公園は、史跡・蛭子山古墳と史跡・作山古墳を整備した国内有数の歴史公園です。
 蛭子山古墳群は、今から約1,650年前に造られた大型前方後円墳の1号墳を盟主として、現状では4基以上の古墳で構成されています。作山古墳群は、蛭子山古墳の南隣りにあり、前方後円墳・円墳・造出付【つくりだしつき】円墳・方墳などバリエーション豊かな墳形の古墳で構成された古墳群です。
 両古墳群の発見は、昭和2年3月7日に発生した北丹後地震によって蛭子山1号墳の頂上にあった社殿が倒壊し、昭和4年秋の再建工事で、地中から巨大な石棺が発見されたことに始まります。石棺の発見は当時大騒ぎとなり、多くの見物人で賑わったことが新聞記事になっています。
 その後、昭和40年代には地元有志者によって蛭子山古墳保存会が発足し、慰霊祭や除草作業などが取り組まれ、平成元年度から本格的な整備事業が始まり、平成4年11月にオープンしました。
 日本海三大古墳と言われる蛭子山1号墳(145m)と京丹後市の網野銚子山古墳(198m)・神明山【しんめいやま】古墳(190m)は、4世紀後半から5世紀初頭にかけて連続して築造された丹後の大首長墳で、古代の中枢であった大和王権の大豪族たちの古墳に匹敵するその規模は、長らく日本古代史の謎とされてきました。
 しかし、1980年代以降に本格化した発掘調査によって、日本海三大古墳に代表される古代丹後の権勢は、日本海を通じた朝鮮半島・中国大陸諸国との鉄を中心とした海外交易にあったと推察されるようになってきました。日本古代史の中で高い歴史的価値を持った古墳であることが再認識されています。

蛭子山1号墳【えびすやまいちごうふん】
■時代
 古墳時代前期
■場所
 与謝野町字明石
 (古墳公園内)
■指定等の状況
 国指定文化財/史跡
 (昭和5年7月8日指定)

 

与謝野町教育委員会

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