大内峠への道
- ジャンル:町の歴史・文化
- 更新日:2011年4月15日(金曜日) 18時06分
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「与謝野晶子 大内峠への道」
与謝野町ゆかりの歌人、与謝野晶子は夫鉄幹とともに昭和5年5月に丹後を訪れ、大内峠で多くの歌を詠みました。
このとき、親交のあった地元の俳人で郷土史家の小室洗心による案内で自動車に乗った晶子は、大内峠への車中で次のような歌を詠んでいます。
皐月風与謝の入江をわたる日に
大内峠の新道を行く 晶子
【歌意】
5月の清々しい風が阿蘇海の入江に吹き渡る一日、大内峠に新しく出来た道を通る私のそばを、新しい季節の訪れを感じさせる風が吹き抜けてゆく。
歌の中の「新道」とは現在の府道大宮岩滝線にあたります。かつて明治から大正期にかけて整備されたこの道は、昭和2年の丹後震災で大きく崩落してしまいました。この道路を復旧する際に、当時普及しはじめていた自動車が通行できるよう拡張整備して、昭和4年11月に完成しました。
竣工時の写真が当時の様子を伝えています。現在の様子と大きく異なり、斜面の地肌が剥き出しになっていることにより、うねる道筋がすっきりと見通せます。
晶子がこの道を通ったのが写真の半年後ですので、おおよそ変わらない風景を車窓から見たことでしょう。新しい道を駆け抜ける清々しさを歌にしたのもうなずけます。
この歌を書いた晶子直筆の掛軸が江山文庫に所蔵されています。
与謝野晶子【よさのあきこ】
■与謝野町ゆかりの歌人
与謝野町教育委員会