• ホーム 与謝野町地域ポータルサイト
  • みんなの動画
  • みんなの広場
  • お店&企業
  • イベント情報
  • お知らせ
ホームみんなの広場縮緬創業記念碑

縮緬創業記念碑

     
  • ジャンル:町の歴史・文化
  • 更新日:2011年4月14日(木曜日) 20時33分
  • コンテンツID:7-379-48088
 

「ちりめん織に関わる者達の意識高揚のあかし」

三河内地区の倭文(しどり)神社の北東側約150mにある三つ葉グランドの奥に大きな石碑がそびえ立っています。「縮緬創業記念碑」と堂々たる字で刻み込まれた石碑の裏面には石碑建立の理由書きがあり、その要旨は「今、皆が丹後縮緬の恩恵を受けることができるのは、江戸時代中頃、木綿屋六右衛門の力添えで、手米屋小右衛門と山本屋佐兵衛が苦労をして西陣でその技術を習得。享保7年(1722)に帰郷し、その技術を惜しみなく多くの者に伝授したからである。 それに感謝の意を示す」というちりめん始祖伝とそれへの謝意というものです。
 この石碑は、大正15年に建立されましたが、翌年の丹後震災で倒壊し、2年後の昭和4年に新調・再建されたものです。大正期の石碑は、地震の時にいくつかに割れてしまったらしく、その断片が今でも算所と三河内の両地区に残っています。
 石碑の建立は、直接に商売につながるものではありません。では、石碑建立の原動力は何だったのでしょうか。大正末期から昭和初期のちりめん織を取り巻く環境を見ますと、
・大正10年 丹後縮緬同業組合設立…4郡ごとの支部が一本化
・大正14年 丹後ちりめん倉庫精練(株)設立…実質的な国練のはじまり
・昭和3年 国練検査制の開始(峰山・網野・岩滝・加悦・口大野に加工場が次々と設置)
 丹後機業者の組織的まとまりが進み、国練(=丹後で製織したものを地元で精練・検査し、市場に出すこと)の実現という動きがあったことがわかります。この国練の実施には京都問屋の強い抵抗があり、その実現は丹後機業者の悲願でもあった大事業だったのです。
 こうして見ますと、先祖へ感謝を示すという気持ちを基層として「ちりめん織に関わる者達の自立意識の高揚と新たな一歩への祈念」だったとも推察されます。

縮緬創業記念碑【ちりめんそうぎょうきねんひ】 
■時代
 大正15年 昭和4年再建
■写真左
 大正15年に設置され、翌年に丹後震災で倒壊し、移築されたた石碑の断片(算所地区内)
■写真右
 昭和4年に再建された石碑(三河内地区三つ葉グランド)

 

与謝野町教育委員会

写真の投稿

あなたが撮影した写真を掲載しませんか?
お気軽にご投稿ください!

投稿する

写真をさがす

ページの先頭へ戻る